「愛と光と巡礼の夏」第四十話(最終回)

メディアの力は大きい。費用を掛けた一方的な宣伝と違い、ニュースとして報道されたパブリシティには信頼と関心が集まる。ただし報道内容は藤倉の作品より藤倉家のパリから今に至るストーリーに興味が集中し、パリ生活から帰国した美しい藤倉母娘の映像が長く流れた。
初日の報道は反響を呼んで来場者を増やし、翌日は他のメディアも追従した。反応がいいとメディアはさらに追い続ける。ネットでもブロガーによって好意的にコメントされ、版画の売れ行きは予想を遥かに超えた。そして展示される各版画限定45のシリアルナンバーは徐々に数を増やしていった。
一方パリでも数日後、日本での反響が報道され、40枚程の版画は最終日を待たずにほぼ完売との知らせがドゥプースの興奮した声で祥子に告げられた。そしてドゥプースは、日本へ持ち帰った作品を少し送り返せと迫った。しかし祥子は今回の遺作展で売り切ることを躊躇い、その申し出を断った。
インターネットの検索キーワードで「マニエル・ノアール」と「藤倉篤志」によるアクセスが、ヤフーやグーグルのデータに顕著に現れた。世話人である鷹山の工房サイトのアクセスにも影響し、日毎に問い合せのメールが増えた。サイトには瞬が綾奈とステンドグラスを巡って旅したブログがあり、綾奈が描いた旅のイラストや、藤倉の版画も掲載されていたのだ。
メディアの取材は鷹山にも及んだ。藤倉とのパリ留学当時やマニエル・ノアールについてコメントを求められたのだ。
わずか6日間の遺作展は大盛況で、まるで予期せぬ季節外れの嵐のようだった。しかしその後も、後処理に終われる二人への取材攻勢はエスカレートした。
5月に入ると、検索キーワードはやがて「藤倉綾奈」と移り、若く可愛いパリジェンヌとしての綾奈の画像がネット上を飛び交った。話題となった綾奈は女性誌を問わず取材の依頼が後を絶たず、日を追う毎に父藤倉を離れ綾奈個人への関心に移った。週刊誌は綾奈の一日をグラビアで飾り、女性雑誌のモデルとしてのオファーまで舞い込むようになった。
瞬はわずか1ヶ月の間に、一躍アイドルに祭り上げられ、メディアに振り回される綾奈の心の変化が気になり始めた。
パリ在住時日本雑誌のレポーターでもあった祥子にも、出版社から新たな企画と原稿依頼が殺到し、二人は驚きと戸惑いの中でその対応に追われた。
帰国した日から、祥子は札幌に帰る迄と工房の離れを間借りし、綾奈は瞬のアパートで一緒に生活していた。そして綾奈は毎日瞬のバイクで工房へ行き、祥子と一緒に工房の応接室で仕事をした。
鷹山は思いも寄らぬ反響の大きさに、喜びとともにその異常な展開に違和感も感じ始めた。それは祥子も同じであった。
藤倉の作品はおよそ半分を販売し終えたところで中止した。それは祥子と鷹山の共通の思いで、全てを手放すと一時の話題で終わってしまう危機感を抱いたのだ。
それぞれの思いを抱きながらある夜、工房で祥子と綾奈の今後について話し合った。
「篤志の作品や存在がこんなに早く広く伝わった事に感動しています。でもそれは余りにも劇的過ぎて、篤志の思いがどう伝わったのか、今はそれが心配です。鷹山さん、これで良かったのでしょうか」
「祥子さん、何が云いたいか分かるよ。しかしまずは私達が計画したことのほぼ全てが達成された。大成功だよ。打ち上げの席で画廊の滝沢氏が云ったでしょう。画廊人生で未だかってない興奮を味わったって。藤倉さんの作品はそれだけ衝撃的だったんだ。特に死を悟り、それを覚悟しながら彫った壮絶な魂の作品には少しの妥協もない。だからこそ、彼の芸術家としての人生にメディアも来場者も関心を持ち、あれだけの反響を呼んだのだよ」
「それは本当に嬉しいことです。でも、最近専門家やマニアの人々から否定的な厳しい評価が出始めましたね。メディアによる過度の評価に対する反発なのでしょうか、それが気になります」
「フランスで生まれたマニエル・ノアールは一時忘れ去られていたけど、パリに渡った長谷川潔によって復活され、高い評価を受けた。彼はもういないがその評価は高まるばかりだ。そしてカラーメゾチントと云う新しい技法で、黒い銅版画に色彩を加えた浜口陽三の存在も大きい。彼も亡き人であるが、世界の版画界に大きな存在感を残している。特にその二人の功績は偉大で揺るぎないものなんだ。そこに突然藤倉さんが登場した訳で、それを直ぐに認めてもらえる程甘い世界ではない。つまりその真価が本当に評価されるのはまだまだ先の話だと思う。作品の価値はそれを作った天国の本人が一番よく分かっている。人の評価と真の価値との間には溝があって当然だ。専門家が厳しい評価を下すのはそれだけ注目しているからだよ。長い年月をかけて時代と作品がどう触れ合ってその溝が埋まるか楽しみに待ちましょう。その為にこれからも藤倉さんの残した素晴らしい仕事を大切に伝えて行くことだ。それが祥子さんと綾奈の藤倉さんへの愛の巡礼だと私は思う」
鷹山の言葉に祥子は安堵するように笑顔でうなずいた。
すると隣に座る綾奈が涙ぐみながら云った。
「小父さま、私昨日瞬に叱られました。その意味が今初めて分かりました」
瞬が昨夜、雑誌モデルの仕事に乗り気な綾奈に苦言を呈して強く反対したのだ。
「綾奈は今回の遺作展が何の為だったのか忘れてしまったね。君を優しく包んで育ててくれたお父さんへの愛じゃなかったのか。その話題に乗っかってモデルへ転身か。そしてタレントになってお父さんの宣伝でもしてあげようと云うのか。冗談じゃない。一年もしない内に君の旬は過ぎて忘れ去られたパリジェンヌさ。おまけに藤倉さんまで笑い者にされて、お父さんはパリで終わりにしたかったと思うはずだよ。綾奈、今の君は自分を見失っている。俺にはそう見える。それともそれは俺の嫉妬か。いや違う、絶対違う、俺はお前を愛しているから我慢できないんだ」
瞬は一気にそう捲し立てると、拳を強く握りしめて綾奈を睨みつけた。
綾奈は自分を責める瞬の強い言葉に、声を上げて泣きながら言い返した。
「瞬ひどいよ、いきなりそんなひどい言葉で攻めるなんて、私はモデルにもタレントにもなりたいなんて思ってない。皆が喜んでくれると思って、昨日は瞬も凄い話だって喜んでくれたじゃない。だから少しの間だけと思ったのよ。それもお父さんの為だと思った。そんな、自分を見失った自惚れた女に見えたなんて、瞬はひどい。悲しいよ。そんな日本ならパリに帰りたい」
瞬は予想もしない綾奈の強い反撃に言葉を失い立ち尽くした。
二人の長い沈黙が続いた。二人は今云い放った自分の言葉と相手の言葉が頭の中で何度も行き交い、辛く悲しく切ない思いに絶え切れなくなった。金縛りのように身動き出来ない二人を救ったのは、通りから聞こえる救急車の音だった。
「あの音は俺達を救いに来たのかな」
そう云って微笑んだ瞬の言葉に綾奈も微笑みを返した。
瞬が綾奈の肩に優しく手を掛けた。綾奈は瞬の背中に手を回し強く抱きしめた。
「ゴメンネ、こんなの初めてだったから驚いたの。本当は瞬の気持ちが嬉しかった。そして強い瞬がカッコよかった」
「俺も言い方悪かった、ゴメン。綾奈の事もっと理解してフォローして上げるべきだったよ」
昨夜の出来事を聞いた鷹山は嬉しそうに祥子にワインを注いだ。
「これでやっと皆穏やかな日々に戻れそうだな。幸い出版の費用も出来た。あとは祥子さんのエッセイがまとまれば世に出せる。藤倉さんの作品とその軌跡を多くの人々に知ってもらいながらいい形で後世に残しましょう。しばらく時期を置いて、今度は藤倉さんの故郷である熊本や松本や札幌でも個展を開くといい」
「是非そうさせて下さい。私は来週熊本の篤志の実家にご挨拶に行き、ご両親のお墓参りをしたいと思います。それからもう札幌に帰ることにします。両親はもう歳ですから今の内に親孝行しないといけないし。原稿作りはどこでもできますし。瞬ちゃん綾奈を宜しくお願いね」
「了解です。実は来年の春、僕達はパリで式を挙げようと思います。綾奈のお父さんの心が残るモンマルトルの丘で。そして帰ってから松本で披露宴を行います。昨日の晩二人で決めて、松本にも知らせました。先生は仲人ですからお身体に気を付けて」
「やれやれ、幸せ三昧でいいな。しかし田園調布のお婆さんの調子もだいぶ良くなったみたいだし、早い方がいい。ご両親も喜んだだろう」
「はい、そしたら、俺達もパリに行くと云いまして。帰りにグラナダにも寄ろうかなんて、最近親父のご機嫌がいいんです」
松本の父親は、アンドレスとその後も村田玲子を介して文通をしていた。その玲子は来春の卒業を機にマドリッドに留学する予定だと云う。
グラナダで知り合った高橋夫妻は藤倉の遺作展に現れた時、八ヶ岳にログハウスのペンションの建設が始まった事を告げ、建物の横に小さな聖堂も建て、失った二人の娘の冥福を祈りたいと話した。そして聖堂には瞬のステンドグラスと綾奈のイラスト画が欲しいと依頼していた。
それぞれの愛と光と巡礼の旅は、新たな道を歩みながらそれぞれの聖地を目指して旅はつづく。
おわり
あとがき:皆様、長い間お読み下さりありがとうございました。つたない素人小説で、恥ずかしながらも皆様の暖かいご声援で完結する事ができました。来月、7/7〜30まで、私は一人でマドリッドからパリまで、又バイクでこの小説のコース旅します。各地の真夏の新鮮な美しい風景をカメラに納め、あらためてこの小説の全文を補修し沢山の画像と共に掲載します。小説と云える程の質は無理ですが、観光のガイドブックとしてでもお読みいただけたなら幸せです。その旅の個人旅行記も書く予定です。私の過去の旅行記は http://junet.co.jpでご覧頂けます。ありがとうございました。 <HEADこと東賢太郎>

メディアの力は大きい。費用を掛けた一方的な宣伝と違い、ニュースとして報道されたパブリシティには信頼と関心が集まる。ただし報道内容は藤倉の作品より藤倉家のパリから今に至るストーリーに興味が集中し、パリ生活から帰国した美しい藤倉母娘の映像が長く流れた。
初日の報道は反響を呼んで来場者を増やし、翌日は他のメディアも追従した。反応がいいとメディアはさらに追い続ける。ネットでもブロガーによって好意的にコメントされ、版画の売れ行きは予想を遥かに超えた。そして展示される各版画限定45のシリアルナンバーは徐々に数を増やしていった。
一方パリでも数日後、日本での反響が報道され、40枚程の版画は最終日を待たずにほぼ完売との知らせがドゥプースの興奮した声で祥子に告げられた。そしてドゥプースは、日本へ持ち帰った作品を少し送り返せと迫った。しかし祥子は今回の遺作展で売り切ることを躊躇い、その申し出を断った。
インターネットの検索キーワードで「マニエル・ノアール」と「藤倉篤志」によるアクセスが、ヤフーやグーグルのデータに顕著に現れた。世話人である鷹山の工房サイトのアクセスにも影響し、日毎に問い合せのメールが増えた。サイトには瞬が綾奈とステンドグラスを巡って旅したブログがあり、綾奈が描いた旅のイラストや、藤倉の版画も掲載されていたのだ。
メディアの取材は鷹山にも及んだ。藤倉とのパリ留学当時やマニエル・ノアールについてコメントを求められたのだ。
わずか6日間の遺作展は大盛況で、まるで予期せぬ季節外れの嵐のようだった。しかしその後も、後処理に終われる二人への取材攻勢はエスカレートした。
5月に入ると、検索キーワードはやがて「藤倉綾奈」と移り、若く可愛いパリジェンヌとしての綾奈の画像がネット上を飛び交った。話題となった綾奈は女性誌を問わず取材の依頼が後を絶たず、日を追う毎に父藤倉を離れ綾奈個人への関心に移った。週刊誌は綾奈の一日をグラビアで飾り、女性雑誌のモデルとしてのオファーまで舞い込むようになった。
瞬はわずか1ヶ月の間に、一躍アイドルに祭り上げられ、メディアに振り回される綾奈の心の変化が気になり始めた。
パリ在住時日本雑誌のレポーターでもあった祥子にも、出版社から新たな企画と原稿依頼が殺到し、二人は驚きと戸惑いの中でその対応に追われた。
帰国した日から、祥子は札幌に帰る迄と工房の離れを間借りし、綾奈は瞬のアパートで一緒に生活していた。そして綾奈は毎日瞬のバイクで工房へ行き、祥子と一緒に工房の応接室で仕事をした。
鷹山は思いも寄らぬ反響の大きさに、喜びとともにその異常な展開に違和感も感じ始めた。それは祥子も同じであった。
藤倉の作品はおよそ半分を販売し終えたところで中止した。それは祥子と鷹山の共通の思いで、全てを手放すと一時の話題で終わってしまう危機感を抱いたのだ。
それぞれの思いを抱きながらある夜、工房で祥子と綾奈の今後について話し合った。
「篤志の作品や存在がこんなに早く広く伝わった事に感動しています。でもそれは余りにも劇的過ぎて、篤志の思いがどう伝わったのか、今はそれが心配です。鷹山さん、これで良かったのでしょうか」
「祥子さん、何が云いたいか分かるよ。しかしまずは私達が計画したことのほぼ全てが達成された。大成功だよ。打ち上げの席で画廊の滝沢氏が云ったでしょう。画廊人生で未だかってない興奮を味わったって。藤倉さんの作品はそれだけ衝撃的だったんだ。特に死を悟り、それを覚悟しながら彫った壮絶な魂の作品には少しの妥協もない。だからこそ、彼の芸術家としての人生にメディアも来場者も関心を持ち、あれだけの反響を呼んだのだよ」
「それは本当に嬉しいことです。でも、最近専門家やマニアの人々から否定的な厳しい評価が出始めましたね。メディアによる過度の評価に対する反発なのでしょうか、それが気になります」
「フランスで生まれたマニエル・ノアールは一時忘れ去られていたけど、パリに渡った長谷川潔によって復活され、高い評価を受けた。彼はもういないがその評価は高まるばかりだ。そしてカラーメゾチントと云う新しい技法で、黒い銅版画に色彩を加えた浜口陽三の存在も大きい。彼も亡き人であるが、世界の版画界に大きな存在感を残している。特にその二人の功績は偉大で揺るぎないものなんだ。そこに突然藤倉さんが登場した訳で、それを直ぐに認めてもらえる程甘い世界ではない。つまりその真価が本当に評価されるのはまだまだ先の話だと思う。作品の価値はそれを作った天国の本人が一番よく分かっている。人の評価と真の価値との間には溝があって当然だ。専門家が厳しい評価を下すのはそれだけ注目しているからだよ。長い年月をかけて時代と作品がどう触れ合ってその溝が埋まるか楽しみに待ちましょう。その為にこれからも藤倉さんの残した素晴らしい仕事を大切に伝えて行くことだ。それが祥子さんと綾奈の藤倉さんへの愛の巡礼だと私は思う」
鷹山の言葉に祥子は安堵するように笑顔でうなずいた。
すると隣に座る綾奈が涙ぐみながら云った。
「小父さま、私昨日瞬に叱られました。その意味が今初めて分かりました」
瞬が昨夜、雑誌モデルの仕事に乗り気な綾奈に苦言を呈して強く反対したのだ。
「綾奈は今回の遺作展が何の為だったのか忘れてしまったね。君を優しく包んで育ててくれたお父さんへの愛じゃなかったのか。その話題に乗っかってモデルへ転身か。そしてタレントになってお父さんの宣伝でもしてあげようと云うのか。冗談じゃない。一年もしない内に君の旬は過ぎて忘れ去られたパリジェンヌさ。おまけに藤倉さんまで笑い者にされて、お父さんはパリで終わりにしたかったと思うはずだよ。綾奈、今の君は自分を見失っている。俺にはそう見える。それともそれは俺の嫉妬か。いや違う、絶対違う、俺はお前を愛しているから我慢できないんだ」
瞬は一気にそう捲し立てると、拳を強く握りしめて綾奈を睨みつけた。
綾奈は自分を責める瞬の強い言葉に、声を上げて泣きながら言い返した。
「瞬ひどいよ、いきなりそんなひどい言葉で攻めるなんて、私はモデルにもタレントにもなりたいなんて思ってない。皆が喜んでくれると思って、昨日は瞬も凄い話だって喜んでくれたじゃない。だから少しの間だけと思ったのよ。それもお父さんの為だと思った。そんな、自分を見失った自惚れた女に見えたなんて、瞬はひどい。悲しいよ。そんな日本ならパリに帰りたい」
瞬は予想もしない綾奈の強い反撃に言葉を失い立ち尽くした。
二人の長い沈黙が続いた。二人は今云い放った自分の言葉と相手の言葉が頭の中で何度も行き交い、辛く悲しく切ない思いに絶え切れなくなった。金縛りのように身動き出来ない二人を救ったのは、通りから聞こえる救急車の音だった。
「あの音は俺達を救いに来たのかな」
そう云って微笑んだ瞬の言葉に綾奈も微笑みを返した。
瞬が綾奈の肩に優しく手を掛けた。綾奈は瞬の背中に手を回し強く抱きしめた。
「ゴメンネ、こんなの初めてだったから驚いたの。本当は瞬の気持ちが嬉しかった。そして強い瞬がカッコよかった」
「俺も言い方悪かった、ゴメン。綾奈の事もっと理解してフォローして上げるべきだったよ」
昨夜の出来事を聞いた鷹山は嬉しそうに祥子にワインを注いだ。
「これでやっと皆穏やかな日々に戻れそうだな。幸い出版の費用も出来た。あとは祥子さんのエッセイがまとまれば世に出せる。藤倉さんの作品とその軌跡を多くの人々に知ってもらいながらいい形で後世に残しましょう。しばらく時期を置いて、今度は藤倉さんの故郷である熊本や松本や札幌でも個展を開くといい」
「是非そうさせて下さい。私は来週熊本の篤志の実家にご挨拶に行き、ご両親のお墓参りをしたいと思います。それからもう札幌に帰ることにします。両親はもう歳ですから今の内に親孝行しないといけないし。原稿作りはどこでもできますし。瞬ちゃん綾奈を宜しくお願いね」
「了解です。実は来年の春、僕達はパリで式を挙げようと思います。綾奈のお父さんの心が残るモンマルトルの丘で。そして帰ってから松本で披露宴を行います。昨日の晩二人で決めて、松本にも知らせました。先生は仲人ですからお身体に気を付けて」
「やれやれ、幸せ三昧でいいな。しかし田園調布のお婆さんの調子もだいぶ良くなったみたいだし、早い方がいい。ご両親も喜んだだろう」
「はい、そしたら、俺達もパリに行くと云いまして。帰りにグラナダにも寄ろうかなんて、最近親父のご機嫌がいいんです」
松本の父親は、アンドレスとその後も村田玲子を介して文通をしていた。その玲子は来春の卒業を機にマドリッドに留学する予定だと云う。
グラナダで知り合った高橋夫妻は藤倉の遺作展に現れた時、八ヶ岳にログハウスのペンションの建設が始まった事を告げ、建物の横に小さな聖堂も建て、失った二人の娘の冥福を祈りたいと話した。そして聖堂には瞬のステンドグラスと綾奈のイラスト画が欲しいと依頼していた。
それぞれの愛と光と巡礼の旅は、新たな道を歩みながらそれぞれの聖地を目指して旅はつづく。
おわり
あとがき:皆様、長い間お読み下さりありがとうございました。つたない素人小説で、恥ずかしながらも皆様の暖かいご声援で完結する事ができました。来月、7/7〜30まで、私は一人でマドリッドからパリまで、又バイクでこの小説のコース旅します。各地の真夏の新鮮な美しい風景をカメラに納め、あらためてこの小説の全文を補修し沢山の画像と共に掲載します。小説と云える程の質は無理ですが、観光のガイドブックとしてでもお読みいただけたなら幸せです。その旅の個人旅行記も書く予定です。私の過去の旅行記は http://junet.co.jpでご覧頂けます。ありがとうございました。 <HEADこと東賢太郎>
# by june_head | 2009-06-11 02:20 | 第四十話:最終回













